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タイトルのネタがない

2011年08月11日 21:53

中盤道路

中盤の道路。
てててーって てててーって で始まるこれ、実はかなり前から脳内でできてた構想です
予定ではイントロの雰囲気のまま、明るいメロディに入っていく
ということだったのですが・・・

たまたまコードの被った音が(本当にうまいこと)あったので
面倒くさがりな故、全音符タイでストリングスを入れてしまった。
そのせいでなんだか当初の妄想とはかけてはないけど離れてしまいました。
これはこれでいいかなと思ってたり。
副旋律の自由さとか。(DQの影響)


ニ長調もト長調もやったので、そろそろ最強にひねくれたやつをやりたかった。
そんなわけで抜擢された、ホ長調です。

ベースもちょっと凝ってますよっと。よかったらベースだけ聞いてみてね


中盤のような道路
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コメント

  1. Happy Jack | URL | 58bjCdTA

    Re: タイトルのネタがない

    えいと君、何を云ってるんだい。
    ピアノこそ、如何なる調性をも支配でき、
    尚且つ、如何なる民族性をも有し得ない、
    真に調性のための楽器であり、超文化的な楽器なのだよ。

    先ず、音楽やり始めでも、
    「弾き難さ」などと云った、主観的な考えで、
    E-durならびに各調性を、「ひねくれた」などの語を使って軽んじる事は無い。

    和音的な事でめんどくさいのなら、
    ギターにおいての、E-Durだよ。
    トニカ(E△)、サブドミナント(A△)は弾き易く、
    ドミナント(B△)と、副三和音はもとい、G#-Mollの各和音が引き難い。

    君は少しく、調性の意味を履き違えている。
    「あの調性で曲を書いたから、次はこれ」というような作曲法じゃ意味が無い。
    ピアノのための楽曲なら、運指的な事で調性を決め、
    管絃楽のための楽曲ならば、楽器法的な事で調性を決める。

    何かがおかしい。君の調性観。

  2. えいと | URL | -

    Re: タイトルのネタがない

    学術的すぎて理解できない!

    まずは言葉足らずだったことを謝罪しておこうかな・・・
    そろそろEをやってみたかったのは本当です。
    一方、Eのメロディアスさを知っていて、これしかないと思ったのも本当です。というかこれが大部分。

    Eが弾きにくいと思うのも本当ですけどね。ピアノで。

    というのはずれているかもしれない。
    演奏するのは人じゃなくてオルゴールです。
    それを指揮するのが僕です。
    それなら、何を持って調を決めるのか。

    僕が一番その曲にあっていると思う調です。
    未熟者なので12の中から自由に選ぶことはできません。
    ハ長調、ニ長調、ト長調、そして今回のホ長調。
    しかし作曲に臨んだ時の僕の最善の選択だったと思っていますよ。

  3. 藤野 藤吉 | URL | 58bjCdTA

    Re: タイトルのネタがない

    「僕が一番その曲にあっていると思う調です」

     それは、鼻歌にギターでコードを合わすようなものであり、正しい調整の決定の仕方ではない。
    正しい調性の決定の仕方は、「曲想にあった調性と、楽器法の観点から容易く演奏できる(もしくは不可能性の回避のために)、調性の融合点を見出す」という仕方である。

    DTMにおいてはそれは関係ないことに思えるかもしれないが、
    一般的な生の音楽は、先に述べた調性の決定の仕方で作曲されている。
    その故を以って述べるなら、如何なる人間も、E-Durならびに、各調性の感じ方はそれぞれ一つずつなのである。

    だからこそ、調性の決定の仕方は一つなのであり、それを軽んじてまで作曲する必要はないのです。

  4. えいと | URL | -

    Re: タイトルのネタがない

    またしても言葉足らずか
    その曲に合ってるというのは、その曲で出したい雰囲気に合っているということでした。

    やっぱり難しいけど
    後半を読んだだけだと肯定されている気がする・・・

    はっきり正しい調の決定し方を定義されたのでそこに関してなら
    前者はクリアでしょうか。
    この場合、演奏するのは結局同時発音12のオルゴールなわけで
    それが演奏可能かどうかは調は関係してこないからなあ
    やっぱり主観で決めるほかにないはず

  5. 藤野 藤吉 | URL | -

    Re: タイトルのネタがない

    もっと分かり易く書いてあげよう。

    先に述べた、生の音楽において正しい調性決定の仕方は、
    DTMにおいては関係ない事に思えるかもしれないが、
    一般的な、尚且つとても純度の高い聴衆は内部には、生の音楽の調性観が存在する。
    その調性観は、生の音楽において正しい調性決定の仕方に基づいている。

    即ち、作曲者の主観でのみ調性を決定する態度は卑劣である。
    楽器法の観点、ならびに聴衆の調性観に基づく観点から、作曲者は調性を決定しなければならない。

    間違えるな。
    芸術家は、大衆の精神性への奉仕者だ。

  6. 藤野 藤吉 | URL | 58bjCdTA

    Re: タイトルのネタがない

    多くを語れば、真理性から乖離する破目になる。

    簡潔に書いてあげよう。
    ロックや所謂ポップソングなどの歌曲の作曲であっても、
    ギターの楽器法に基づき、作曲されるのである。

    そして、聴衆の一切は、その作曲法に基づく音楽観(調性観をも含む)を持っている。
    逆説的に、作曲者は、この聴衆の音楽観に基づき、新たな作曲をしなければならない。

    これはオーケストラ音楽にあっても、ピアノのための独奏曲であってもそうである。

    DTMであっても例外ではない。
    DTMには基準とするものが無いからと云って、聴衆に根付いた種々の音楽観を無視して作曲は出来ない。

    即ち、「管絃楽法」に基づき、一切は作曲されなければならない。
    聴衆から乖離した主観からは、何も生まれない。

  7. えいと | URL | -

    Re: タイトルのネタがない

    管弦楽法ですかー
    Wikipediaでちょっと見てみたけど難しい
    楽譜読んだりはできるけど、実際にストリングスの演奏は見たことがないから運指に関しては全く・・・
    和声に関してはわりと気を配ってます、とらわれすぎかもしれません。

    しかし今はプログレとかいうジャンルが確立されつつあるではありませんか
    ・・・まあ、僕みたいなのが音楽理論嫌になって作ったんだろうけど

    >間違えるな。
    >芸術家は、大衆の精神性への奉仕者だ。

    これは全くその通りです。
    リアルでは周りに音楽好きがいないので忘れかけてました。

  8. 藤野 藤吉 | URL | 58bjCdTA

    Re: タイトルのネタがない

    管絃楽法は、体験しなくとも運指法の理解を助ける。
    また、管絃楽法を知らないままに和声学を扱うのは、かなり問題である。

    君は、プログレは好き勝手に調性を決定していると思ってるようだが、間違えてはならない。
    プログレもジャズも、十二音技法も、総て生の音楽であり、楽器法ならびに管絃楽法に支配されている。
    音響作曲法なぞ、その至高といえる部分がある。

    DTMは生の楽器ではない。生の楽器の模倣である。
    ならば、生の楽器の音楽観、調性観を守らなければならない。

  9. えいと | URL | -

    Re: タイトルのネタがない

    しかしDTMでしかできないことがあるのも事実では・・・

    東方Projectの作者であるZUNさんは
    「ありえないコード進行やありえない和音が素人の曲と言われるのなら、私は迷わず素人の曲をとるでしょう」とおっしゃてますが、言い訳なのでしょうか。

    ところでDTMはオーケストラと違って純正律ではなく十二平均律なのですが、どうしましょう。

  10. 藤野 藤吉 | URL | 58bjCdTA

    Re: タイトルのネタがない

    そのZUNという人のその言葉は、
    「芸術家は、大衆の精神性への奉仕者」という、原点にあり最も純粋な真理をとも云える事実を理解していない。

    この言葉で云われる「大衆」とは、所謂ハイブロウ、ロウブロウの人々総てを意味している。
    即ち、音楽家と聴衆が共に楽しみうるものを作るのが、芸術家の仕事だという事だ。

    この意味で言うならば、ZUNという人は「芸術家は、大衆の精神性への奉仕者」だけれど、
    残念ながら、それは結果論でしかない。

    結果でのみ、総てを判断し得るのならば、一切の理論は意味を持たなくなる。

    先述したように、聴衆の音楽観は「生の音楽の理論」に基づいている。
    そして所謂アヴァンギャルドな、現代音楽の作曲家はそれを理解し尚、聴衆の音楽観を超越する音楽を書いてきた。
    そのような音楽作品の多くは、成功している。

    けれど、現代音楽の作曲家が超越できなかった理論が一つだけある。
    それが今まで述べてきた、「運指法的身体性に基づく楽器法に依る制限」である。

    余談になるが、
    オーケストラで用いられる楽器のすべてが純正律であるという認識は、間違いだ。
    そのような認識では、絃楽器と吹奏楽器の違いを理解できないだろう。

    そして、DTMが絶対に平均律しか持っていないのであれば、
    それこそ、前述した「音楽家であっても聴衆であっても超越する事の出来ない理論、楽器法に依る制限」を、DTMでの作曲法に取り入れれば、それこそ、真に超時代的でありながら、真に大衆の精神性に奉仕し得る音楽になるのである。

    間違えてはいけないのが、私は「ありえないコード進行やありえない和音」を批判しているのではない。
    楽器法の制限に基づいても、ありえないコード進行や、信じられない和音を生み出す事が出来る。
    そしてそのような和声や和音が、楽器の特殊性に基づいて生まれてくるのならば、これこそ超時代的な音楽を生み得る、源の大きな一つに成り得るのである。

  11. 藤野 藤吉 | URL | 58bjCdTA

    Re: タイトルのネタがない

    所謂、「表現の自由」という語を想起していただきたい。
    これの語は、「如何なる人にも表現を行う自由がある」という意味であり、
    いたずらに、大衆を惑わす表現をしてはならないという意味でもある。

    如何なる思想に基づいてZUNという人がその言葉を発したかはしらないが、
    その言葉だけだと、「大衆の音楽観を蔑ろにする音楽主観」があり、
    いたずらに大衆を惑わし得る可能性を持っているのである。
    結果論で云うのならばZUNという人は、それでも一応の成功に至ったのかもしれない。

    しかし、そのような音楽主観に基づいた作品が、
    超時代的になる事は無いだろう。

  12. えいと | URL | -

    Re: タイトルのネタがない

    うーん

    難しくてよく分からないけど、僕は超時代的な曲を目指してるわけではありませんからねえ
    あとDTM全体で全音程を純正律の音源でカバーした音源があるかは存じませんが、少なくとも僕が扱っているMIDI、あるいはGBAの音源の仕様はすべて十二平均律なので・・・

    管弦楽法の入りだけ見てみましたが、わりと面白そうではありましたね。

  13. 藤野 藤吉 | URL | 58bjCdTA

    Re: タイトルのネタがない

    最後は簡潔に締めよう。

    独学であるなしに拘らず、まともに勉強していない内に芸術を作るのは、愚かではないにしろ、誰も共感しない。

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